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  • 2016.08.22 Monday
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清水寺(きよみずでら)

清水寺
「清水の舞台から飛びおりたつもりで・・・」という言葉は、あまりにも有名です。139本の巨大な柱の組合せによって支えられています。断崖絶壁の上に建つ。奈良末期778年に僧延鎮が開山し、平安建都間もない延暦17年(798)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝える。現在の建物の多くは寛永8〜10年(1631〜1633)徳川家光の寄進によって再建されたものである。
ガイドブック 清水寺
ガイドブック 清水寺
横山 正幸

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東福寺(とうふくじ)

東福寺
next洛南エリア
摂政九条道家が嘉禎2年(1236)から建長7年(1255)と19年の歳月を費やして、聖一国師を開山として造営したものです。東福寺の名前の由来は、奈良の大寺のように大きく、興寺のように盛大を極めた寺になぞらえようとそれぞれ一字ずつとって「東福寺」と命名されました。
三門・本堂・方丈・庫裏などからなる伽藍の北・南・西に25か寺の塔頭寺院がある。伽藍の北に洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋(えんげつきょう)という3本の橋が架かっている。通天橋は、本堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となったもの。
天応元年(1319)建武元年(1334)延元元年(1336)と相次ぐ火災のため大部分を焼失。
貞和3年(1347)6月には仏殿の上棟が行われ、20余年を経て再び偉観を誇ることとなった。
その後、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられ、東福寺は永く京都最大の禅苑として面目を伝えたが、明治14年12月に仏殿・法堂・庫裏・方丈を焼失した。
大正6年より本堂の再建に着工、昭和9年4月に落成、明治23年に方丈、明治43年に庫裏も再建された。

■本堂■三門
■禅堂(重要文化財)
南北朝時代・貞和3年(1347)建立、最古最大の道場
■浴室(重要文化財)
■東司(重要文化財)
■仁王門(重要文化財)■愛染堂(重要文化財)■六波羅門(重要文化財)
■月下門(重要文化財)
月華門とも書く
■通天橋■開山堂(重要文化財)■十三重石塔(重要文化財)
■方丈・庫裏■方丈庭園
東福寺
東福寺
今井 規雄

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泉涌寺(せんにゅうじ)

泉涌寺
天長年間に弘法大師が、この地に庵を結んだ事に「御寺(みてら)」として広く親しまれている。法輪寺と名づけられた後、一時、仙遊寺と改称された。順徳天皇の御代・建保6年(1218)に当寺の開山と仰ぐ月輪大師俊芿が時の宋の法式を取り入れて、この地に大伽藍を営み、寺地の一角より清水が湧き出たことにより寺号を泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れることなく湧き続けているようである。

■霊明殿■仏殿・舎利殿■宝物館・心照殿■楊貴妃観音像■御座所

■三尊仏
仏殿内陣には伝運慶作の釈迦・弥陀・弥勒の三尊仏が安置されている。

■海会堂
御所の御黒戸を移築したもので、歴代天皇・皇族の御念持仏が祀られている。

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南禅寺(なんぜんじ)

鶴亀の庭
南禅寺は今から約710年前、正応4年(1291)亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。
亀山法皇は建長元年(1249)後嵯峨上皇の皇子として誕生され、10歳にして皇位に就かれました(第90代亀山天皇)。
ご在位の頃より東アジアの情勢が緊迫し上皇になられてからは蒙古来襲という国難に立ち向かわれました。
この頃、上皇は父である後嵯峨天皇が帰依されていた圓爾辧圓(えんにべんねん)禅師(無関禅師の師・聖一国師)に受戒・問法し、不動の心を持って危機に対処されたのでした。
国難去った正応2年(1289)上皇は離宮禅林寺殿で落飾(出家)され法皇になられました。
諱(法名)を金剛眼と申されます。「文応皇帝外紀」によれば、まもなく離宮に妖怪な事が起こりましたが、無関禅師は雲衲(修行僧)と共に離宮に留まり、坐禅・掃除・勤行と、禅堂そのままの生活を送られただけで妖怪な事は終息してしまいました。
法皇は禅師の徳をたたえて深く帰依され正応4年離宮を禅寺とされました。
開山に迎えられた無関禅師は、その年の12月に遷化(死去)されてしまいました。
正応5年、法皇は第2世として規庵祖圓禅師(南院国師)を選任されました。
禅寺といっても、離宮には伽藍として機能するものはありませんでした。
従ってその建立が規庵禅師に課せられたわけですが、入寺からおよそ15年の歳月を費やし、暫くその完成をみるに到ったのでした。規庵禅師が創建開山と呼ばれる理由です。
伽藍のほぼ完成した嘉元3年(1305)9月15日、亀山法皇は嵯峨の亀山殿で御歳57歳をもって崩御されました。
御陵は亀山殿の跡地に建立された天龍寺境内にあります。
南禅寺ホームページより引用)

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法然院(ほうねんいん)

法然院
[観る]-----
正式名称は善気山法然院萬無教寺。浄土宗系単立寺院です。鎌倉時代初期、法然上人が弟子の住蓮・安楽と共に六時礼讃(昼夜六度にわたって阿弥陀仏を礼拝・賛嘆すること)を唱えた鹿ケ谷の草庵を、江戸時代初期の1608年(延宝8年)知恩院第三十八世萬無和尚が法然上人ゆかりの地に念仏道場を建立することを発願し、再興されたものです。趣のある数奇屋風の茅葺の山門をくぐると、緑深い境内へ。両側には白い盛り砂の白砂壇(びゃくさだん)があり、水を表す砂壇の間を通る事は、心身を清めて浄域に入ることを意味しています。本堂には本尊阿弥陀如来坐像、法然上人立像他を安置し、方丈の狩野光信筆の襖絵は重要文化財に指定されています。小鳥達のさえずりが響く閑静な境内には京の名水として名高い「善気水」が湧き、椿の名所としても有名です。又、奥の墓地には谷崎潤一郎や河上肇など学者・文人のお墓が数多く存在します。

特別拝観は11月1日〜7日。


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平安神宮(へいあんじんぐう)

平安神宮
[観る]-----
青の大屋根や立ち並ぶ朱塗りの柱が雅びな平安王朝を偲ばせる。
平安朝最初の桓武天皇と最後の孝明天皇を祀っている。
もとは明治28年に遷都1100年を記念した勧業博覧会のパビリオンとして建てられたものである。
社殿は平安京の大内裏を8分の5に縮小したものとなっている。
その社殿を取り巻く池泉回遊式の神苑は東・中・西・南の4つで構成されている。
大極殿の寝殿造、碧瓦本葺、52本の円柱が並ぶ壮麗な拝殿は必見ポイント
両側には蒼龍楼と白虎楼が立っている。時代祭の最終地点。
谷崎潤一郎の『細雪』に登場する平安神宮の桜は有名である。
初夏の神苑を彩る約2000株のハナショウブがある。(6月)
蒼龍池の中に『臥竜橋』と名づけられた飛石がある。

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